本日もお休み。
午前中はまったり、
午後一でラーメンを食べたあと、
近場での鉄旅を。
流鉄流山線
ターゲットは流鉄流山線。
今年の 3 月で開通 100 周年を
迎えた歴史ある路線です。
スタートは平和台駅から。
短い路線なので、
全駅乗降チャレンジせんと
出札口で一日乗車券を購入。
全線(5.7km)乗り放題で 500 円。
因みに、馬橋から流山まで
全線乗り通しても 200 円ですから、
単純往復で元を取ることはできません。
券面にはなにやら
コミック風イラストが。
帰宅後に調べてみましたら、
流山線開業 100 周年として、
コミックとコラボしていたらしいです。
とりあえず、駅のホームで待ち、
最初に来た列車に乗ることに。
※ 平和台駅は上り下りとも
同じホームから発着します。
やってきたのは下り列車。
ひと駅先の終点、流山駅に向かいます。
乗車したのは 5000 形「なの花」。
元は西武の新 101 系で、
現在、流山線を走る車両は
この形式に統一されています。
この時間帯はこの車両と
「流馬」が行ったり来たりしていました。
流山
流山駅を出ます。
「なの花」の折り返し列車は
数分で発車するのですが、
見たいところがあったので
次の列車に乗ることに。
廃線跡散策
まず一箇所目。
駅から続く不自然にカーブした道。
これはこの先にある万上本味醂の工場
(現 流山キッコーマン)に向かっていた
引き込み線(万上線)の跡だそうです。
そもそもこの引き込み線と
流山線との歴史は切っても
切れないもので、この工場への
原材料や、工場からの
完成品(主にみりん)を運ぶため、
というのが流山線敷設の理由です。
トラック運送に置き換わり
1969 年に引き込み線は廃止、
1977 年には流山線自体の
貨物輸送もなくなりました。
それからは地域住民の足
として活躍しています。
ところで、
当地流山は「白みりん」の
発祥地であるそうです。
新選組縁の地
目的地 2 箇所め。
近藤勇陣屋跡です。
流山は戊辰戦争時に一時的に
新選組本陣が置かれたところ。
この時、官軍に包囲され、
近藤勇は捉えられ(その後板橋で処刑)
たとのことですが、当地が
土方歳三との別れの地で
あったと言われています。
鰭ヶ崎
2 つ回ったところで、
電車の発車時刻が迫って
きたので駅に戻ります。
馬橋行きの電車に乗り、
次に降りたのは鰭ヶ崎。
「ひれがさき」と読みます。
駅周辺をふらっと散歩して
次の列車を待ちます。
周囲は住宅街で特に
見どころはありませんでした。
小金城址
全線単線の流山線で
唯一列車交換ができる駅です。
小金城趾とされる
歴史公園まで歩こうとしましたが、
少し距離があったため、
手前の緑地で引き返し。
ところで、この駅は
かつては県営住宅がたっていて
その 2 階部分が駅の入口を
兼ねていましたが、
住宅は取り壊され更地に。
幸谷
こちらも住宅(マンション?)の
1 階に駅があります。
常磐線、武蔵野線が交差する
新松戸駅のすぐそば。
駅前の賑やかなところに
ひっそりと駅への通路があります。
ここは昔通い慣れたところなので、
周辺の変化があまりないことを
確認して駅に戻りました。
馬橋
そして、起点の駅へ。
常磐線とは跨線橋で連絡。
一応独立して駅はあります。
ここも折り返し電車を見送って
駅周辺を散策してみます。
鉄道用品株式会社
西口にはかねてから気になるこんな会社。
公式サイトなどがないため
詳細は不明ですが、
レールや犬釘、枕木および分岐器などの
鉄道用品を製造・販売する会社のようです。
萬満寺
東口をでると立派な
お寺さんがありました。
「まんまんじ」と読むそうです。
このお寺は建長八年に小金城主が、
真言宗大日寺として開いたのが
始まりとされています。
ショートトリップ
馬橋駅に戻り、下り電車に乗り、
平和台に戻って本日の
ショートトリップは終了。
半日に満たない時間でしたが、
なかなか充実した楽しい時間を
過ごすことができました。
最後に、このブログには
書ききれませんでしたが、
流山とみりんの関係については
こんな書籍が参考になるかもです。
したっけ。
“街なかのローカル線 流鉄流山線全駅下車の旅” への1件のフィードバック