おつきあいありがとうございます。
3 日間のツアーなのに 2 日目にして
既に 5 つめの記事です。

今回も鉄分控えめとなります。

※ このシリーズの過去記事リンク。
Part.1 Part.2 Part.3 Part.4

沿岸バス

留萌駅前からは沿岸バス
留萌別苅(るもいべつかり)線で増毛へ。

羽幌に本社がある会社で、
この路線以外に日本海沿岸を
中心とした路線バス、これらの地域と
札幌を結ぶ高速バスを運行しています。

留萌別狩線は既に廃止となっている
留萌本線(留萌~増毛間)の代替バスと
しての使命もありますが、
線路がある時代から並行して
運行していました。

留萌駅からちょっと歩いた十字路に
留萌駅前バス停があります。

停留所には萌え絵

少々早めに行きましたが既に
バス停にはかなりの人が待っています。

このバスに乗ります。
手前の留萌私立病院が始発なので
既に何人かお客さんが乗っています。

この停留所で席は埋まり立ち客(ワタシも)も。

留萌~増毛間は海沿いの国道 231 号
(通称オロロンライン)を走ります。
こんな素晴らしい景色を楽しめます。

帰りに撮った画像です

かつての線路もこのすぐ隣を
走っていましたので廃止前は
この景色もその魅力の一つでした。

増毛町へ

旧増毛駅

バスに揺られること 30 分強、
旧増毛駅に到着です。
ワタシを含めてほとんどの人が下車。

すぐそばにある旧駅跡を見に行きます。

駅施設は現役時代そのまま。
そればかりか駅舎はその昔そうであったように
増築されており、現役晩年時代より
大きくなっていました。

今にも列車がやってきそうです。
ここに保存車両を置いといたら良いのに、
と思うのはワタシだけではないでしょう。

駅周辺

お次は駅前を散策。

二軒並んで立つこの建物。
右側は高倉健さん主演映画「駅ーSTATION」の
劇中で登場した風待食堂(実際は雑貨屋、
今は観光案内所)、
左側は少し前まで実際に営業していた
旅館富田屋さんです。

今は住んでいる人はいませんが、
当時の住人の中にワタシの母の
同級生の方がいらしたそうです。

増毛とニシン

前回の記事で「にしんそば」が
出てきましたが、留萌、増毛周辺は
江戸時代から戦後にかけてニシンの
水揚げ量が多く、かなり賑わったそうです。

その名残が駅周辺の建物に見られます。

増毛館(今はとほ宿)
旧商家丸一本間家

かつては増毛支庁(今で言う総合振興局)が
置かれるほどで地域の中心だったことが
伺えます。

レンタサイクルで

駅前に戻り風待食堂(観光案内所)にて
レンタサイクルを借りて少し足を伸ばします。

今回借りた電動アシスト付きの場合
レンタル料は 500 円ですが、
通常の自転車は無料!です。

我がルーツへ

ここからはかなり個人的話題。

実は増毛には母の実家がありました。
その建物がどうなっているかを
久しぶりに確認するというのも
今回の目的の一つでした。

ここまで乗ってきた沿岸バスで
そのまま向かうこともできたのですが、
町内移動の自由度を考えて
レンタサイクルを選択した次第。

母の実家は増毛町別苅というところにあり、
増毛駅から約 4km。
自転車でも十分往復できる距離です。

鮭が遡上する暑寒別(しょかんべつ)川を渡り
(奥には雲に隠れた暑寒別岳)、
右手に海を眺めながら気持ちよく
自転車を漕いでいきます。

そして実家に到着、
建物は当時のまま残っていました、
話によると道内在住の親戚の方が
時々保守をしているとのこと。

ジンパの思い出

この実家、道を挟んで海岸となっており、
かつて家族が集まった時は浜で
ジンギスカンパーティをしたことが
楽しく思い出されます。

眼の前の海では貝を獲って
その場で焼いて食べた記憶も
(祖父は漁師だったので法的問題なし)。

西南方を見るとかつて雄冬への陸上交通を
長らく拒んでいた断崖が。
幼少時代、増毛から船で訪れたことも
うっすらと覚えています。

寂しさも

今は無人となった実家を見たあとは
街に戻りながら昔買い物した
増毛スーパー跡地などを探しつつ。

当時を思い出しながらしばし
感傷に浸るワタシでした。

まだまだ続きます。

今回の行程は、

したっけ。