さて、11 月とも思えない気候が続いておりますが、
私も本業?のスキーモードをそろそろ
起動させようと思います。
さて、今日お送りするのは私とスキーの関わりについて。
以下私事をつらつらと書いていきますので、
ご興味ある方だけついてきていただければ…
私のスキーデビューは小学 2 年の時。
場所は今はなき鶏頂山スキー場(栃木県)。
たしか、カブスカウトの合宿で訪れたんです。
この時はとにかく寒くて辛い思い出しかありませんでした。
(今となってはその記憶も曖昧ですけど)。
それから幾年月、高校 2 年の時に行った
学校主催のスキー合宿がめちゃくちゃ楽しくて
ここが私のスキーの原点と
なっていると言えるでしょう。
で、その後大学に入るわけですが、
よくありがちな「なんでもあり」なサークルに入り、
仲良くなった友達がスキー好きだったため
そこから飛躍的に滑走日数が増えることになります。
毎週末、あるいは試験休みにもゲレンデに通いました。
学校が川越、住まいが鶴ヶ島でしたので、
自ずと行く先は関越方面に。
バブル真っ最中の湯沢界隈のゲレンデは
軒並み今では考えられないほど賑やかだったと
記憶しています。
そしてちょうどバブルが崩壊し、
就職氷河期となった頃に社会人デビュー。
この時は実家に戻り、なんとか引っかかった会社に就職。
この会社(自動車ディーラー)は、
当時定休日というものがなく、
営業である私は建前上、最低でも週一の
休みが与えられていましたが、
その実は、成績が悪かったりすると
休み返上で稼働してたりしたんですよね。。
ということで、
スキーができないストレスが蓄積されていき…
なにかが「ぶちっっ!」と切れて、
1 年半勤めた所で退職、
スキー雑誌で見つけた
猫魔スキー場のスクールに常勤スタッフとして
転がり込んだのでした。
当時は素人に毛が生えた程度の技術で、
当然ながら資格なども持っていません。
アシスタントとしてあらゆる雑用から初心者レッスンまでを
こなしながら、夕方のスタッフトレーニングで特訓を受けました。
とは言え、こじんまりとしたスクールで、
校長先生も基本温厚な方だったので、
他の常勤スタッフ 3 人とは兄弟の様に仲が良く、
共同生活も苦になりませんでした。
また当時の宿舎が、
民宿だった古い建物を一軒まるごと借り受けての
もので、私は個室を与えられていましたから、
その環境も今考えてみるとかなりの高待遇でありました。
ただ、すきま風が入るため、暖房を消すと、
サクっと氷点下になるような部屋でしたけど…(笑)
ここで 3 シーズンお世話になり、
その間、2 シーズン目には晴れてスキー教師の資格を習得。
一応、体面上はスキー教師の仲間入りをすることができたのでした。
…長くなりそうなので、次のエントリーに続きます。。
したっけ。
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