数日前に見かけたネット記事から。

若かりし頃の思い出話しを。

シュプール号

今の若い方へ説明。

シュプール号とは当時の国鉄(現 JR グループ)が

スキーバスに対抗するために設定した臨時列車。


特急形車両を使用しつつも急行列車として

運転されたため格安な料金設定となっていました。

シュプール信越

遊びたい盛りの大学生時代、

良く利用させてもらったのが

「シュプール信越号」です。

当時、「シュプール号」は東北上信越各地に、

また関西、九州圏などでも運転されていました。


首都圏発「シュプール号」の中で、

妙高高原を目指すこの列車においては、

現地民宿宿泊プランのパック料金が

かなりお得だった

というのがその選択理由。


一シーズン中に複数回乗ったこともあり

かなりお世話になった列車です。


当時、東北方面には寝台車両を

使った「シュプール号」も走っていましたが、

こちらは高嶺の花で手を出せずじまい。。

峠越え

このシュプール号、往路は夜行列車。


当時は上信越道開通前夜。

スキーバスはかなり時間がかかり、

かつ鉄道移動は窮屈感も少なく

渋滞知らずということで、

この列車は大人気でした。


信越号は新宿・東京・上野と妙高高原間を

高崎・信越本線経由で走っており、

この区間には今はなき碓氷峠も。


この区間はすべての列車に

電気機関車2両を連結、

上りは力強く後押ししてもらいながら、

下りは頭を抑えてもらいながらソロリソロリ……

という感じで往来していました。


使用車両は当時の特急「あさま」と同じ

189 系という特急車両。

空気ばねが採用された快適な乗り心地でしたが、

碓氷峠区間は、安全確保のため

この空気をぬくということをしており、

ゴロゴロ……と独特な乗り味だったことを覚えています。


基本的に途中駅でドアは開きませんが

横川駅は例外でここで「峠の釜めし」を

行くたびに買っていたのもいい思い出です。

妙高杉ノ原スキー場

妙高高原駅からは列車に接続する

シュプールバスにてゲレンデへ。


利用していたプランでは

杉ノ沢の民宿街近くのバス停で降り、

宿泊予定の民宿にて着替えゲレンデへ

という段取り。


当時は民宿街からの連絡リフトや

三田原第一高速リフトが

かかっており、民宿街から

山頂へのアクセスも便利でしたが、

これらのリフトなき今、

ゲレンデ上部にアクセスするためには

ゴンドラ利用が必須となりました。


ゴンドラ乗り場まで距離があるため

不便となったであろう民宿街の

衰退が心配されるところ。


※当時中腹にはシュレップリフトもかかってました。

帰りはのんびり

夜出発して早朝にはゲレンデへ。

と便利だったこの列車ですが、

帰りは夕方発の昼行列車。


臨時列車のため、定期の特急列車に

道を譲りつつ、列車多密な高崎線では

普通列車の合間を縫ってゆっくり走るため、

急行とは言え所要時間は4、5 時間かかった記憶が。


それでも鉄だったワタシはなんら

苦痛には感じませんでしたが(笑)

衰退→孤軍奮闘

そんなシュプール号はスキーブーム終焉、

高速道路延伸、

新幹線開通などによりその役割を終え、

2000 年代初頭に姿を消しました。


そんな現在ですが、

スキー専用列車として唯一残るのが

東武の「スノーパル 23:55」。



今年はコロナ禍により運休中。

今後も残して欲しいものです。

(まだ乗ったことないですが……)。


したっけ。








大宮から乗車しました。

復路は昼行で運転されます。