ガッチリ稼ぐなら…ホンダ期間工(狭山工場)の思い出

今回はとある方からのリクエストに

お答えして。

 

その昔、ホンダの期間従業員

(いわゆる期間工)として働いて

いた頃のお話です。

 

記憶がおぼろげになりつつある今、

頭の片隅からほじくり出しつつ

書いてみたいと思います。


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働いた時期は?

時は 1994 年の春~秋にかけて。

ちょうど 20 年前ですね。

 

私は当時 25 歳。

この頃、冬は雪山(猫魔スキー場)にこもって

常勤でスキー教師をしていました。

 

この年もスキーシーズンが終わり、

職探しで見ていた求人誌に掲載されていた

募集広告をみて応募した次第。

 

折しもこの年の 9 月に

アコードが 6 代目へと

フルモデルモデルチェンジを迎えました。

スッキリしたスタイルで結構好きでした。

 

この世代では

兄弟車で「トルネオ」と

いうクルマもありました。

 

その語源はたしか「Touring + Neo」。

 

結構売れたみたいですが、

この名前は一世代限りで

なくなってしまいました。

 

※現在、同じ名前を引き継ぐのは……

 

なぜホンダか?

この頃、ワタクシは「スバリスト」デビュー前。

実家でシビック(しかも逆輸入のクーペ!)に

乗っていたということもあり、

ホンダに親近感があったのは事実です。

 

あと、配属場所(狭山市)に関わる事ですが、

大学時代を近く(川越・鶴ヶ島)で

過ごしており、馴染みがあった

というのも大きい要因です。

 

配属先

埼玉県の狭山工場です。

ご近所の方はご存知でしょうが、

国道 16 号沿いの工場地帯に

広がるあの工場です。

 

担当行程

完成車組立課に配属されました。

その名の通り、クルマの車体を

組み立てる工程です。

 

私の担当は主に 4 ドア(左後ろ)まわり。

担当作業は車種によって異なりますが、

ストライカー(ドアを固定する金具)組付け、

ドア内部のハーネス(配線)取り回しや、

窓ガラス投入など。

 

担当車種

私がいたラインに当時流れていたのは、

先述のアコード・トルネオ、

オデッセイ、レジェンド。

 

あと、当時 OEM 生産していた

いすゞアスカなどもチョロチョロと。

※当時の「アスカ」≒「アコード」。

シフト

月~金曜の勤務での二交代制。

早番(一直)と遅番(二直)がありました。

早番は 6:30 ~ 15:15。

途中 10 分、45 分(昼食)、10 分の

休憩がありました。

遅番は 15:05 ~ 23:30。

休憩は同じく 10 分、45 分(夕食)、10 分。

 

ラインや工程によっては、

深夜勤も含んだ三交代制の

ところもありましたね。

 

タクト(ラインタクト)

この記事を書きながら

専門用語を思い出したので

解説しておきます。

 

「タクト」とは、

「製品がそのラインから送り出されてくる時間間隔」

でして、要するに一台のクルマに

施すいくつかの作業をこの時間で

こなす必要があるわけです。

 

配属当初は 55 秒?くらいだったのが

途中から 48 秒に短縮されたような

記憶があります。

 

持ち時間が短くなるということは

作業がきつくなるということです。

多少作業内容の見直しはありましたけど。

 

生活

当時、実家(茨城)ぐらしでしたので、

この期間は寮に入りました。

 

寮はいくつかありましたが、

私は少し離れた入曽(いりそ)。

ここから工場へはバス送迎です。

※入曽寮は閉鎖・解体されたようです。

 

食事は休日をのぞき三食が無料。

部屋は二人の相部屋でした。

 

相棒はインテグラ タイプ R を駆る、

全身からホンダ好きオーラを

漂わせる人でした。

 

彼は正社員登用を目指して頑張っていましたが、

その後どうなったでしょうか。

 

以上の通り、勤務・生活自体に

クルマは不要なんですが、

休日遊びたかったのでクルマを

「こっそり」持っていきました。。

 

※大学時代の友達も近くにいたので、
あまりお金貯まりませんでした。。

待遇

給料の額などは忘れてしまいましたが、

結構良いお金をもらえていたと思います。

 

今でも月収 25 万円くらいは

もらえるみたいですね。

 

6 ヶ月以上働けば、

ボーナス的なものももらえましたしね。

 

以下に書きましたが、

体力のある若い方が

短期間でそれなりに稼ぐという

点ではオススメできます。

 

体力的には?

ほぼ一日動きっぱなしなので、

なかなかきつかったです。

 

ラインが動き始めたら

2 時間は作業を止められません。

 

当時、三食しっかり食べても

どんどん痩せていきましたからね。

 

あのころの代謝を取り戻したいと

切に願う今日このごろ……

 

ただ、この年令で同じことをまたやるか?

と言われれば丁重にお断りします。

 

不思議な出会い

本題からそれます。

 

この仕事についていたとき、

同時期に入った方で青森から

来ていた人がいたんですが、

その年の冬にスキー教師の

検定会(蔵王温泉スキー場)で

ばったり出会った時は

お互いびっくりしました。

 

懐かしい思い出です

ということで、

過去の記憶の垂れ流し記事に

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

いくつか覚え違いはあるでしょうが、

結構覚えているものですねぇ……

 

もし、こんな仕事をやってみたいという方、

工場求人ナビで応募できます。

 

したっけ。



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