SUBARU にからめて鉄ネタを。
かなりマニアックとなります
ことをご了承ください。

先日、開業間もない
ライトライン(芳賀・宇都宮 LRT)に
乗りに行ったとき
のこと。

そこで出会った車両に
絆のようなものを感じたので
今回記事にしてみました。

富士重工の鉄道車両

あの日は真岡鐵道に乗りました。
その時に乗車したモオカ 14 形気動車は
今はなき富士重工製。

今はなき、というのは
富士重工(現 SUBARU)が
鉄道事業から撤退してしまったから。

富士重工が真岡鐵道に
モオカ 14 形を 2 両納入した時点で
鉄道事業から撤退、
その後の 7 両は日本車輌製造製。

※ この 2 両が富士重工が製造した
  最後の鉄道車両とのこと。

富士重工鉄道事業部があったのは
地元の栃木の宇都宮製作所。
すぐ脇を走る JR 日光線の
鶴田駅から工場構内まで
ここで製造された車両を
回送するための専用線も
敷設されていました。

現在の SUBARU 宇都宮製作所は
航空宇宙カンパニーの
生産拠点となっています。

新潟トランシス

で、撤退した鉄道事業の受け皿は、
というと、新潟トランシスという会社。

この会社は 2001 年経営破綻した
新潟鐵工所の鉄道事業の受け皿として
IHI が出資して 2003 年に誕生した会社で、
富士重工からも鉄道事業を譲受しています。

宇都宮で活躍を始めた
ライトライン(HU300 形電車)は
この新潟トランシス製です。

こちらは新潟鉄工所時代の
工場を引き継ぎましたが
鉄道路線と線路がつながっていないため
製造車両はトレーラーで
輸送されています。

その様子は以下の動画で見られます。

新潟鉄工所

今は存在しないこの会社に
ついてもさらっと。

新潟鉄工所は 1910 年設立の
歴史ある会社でした。
鉄道部門では機関車、電車、貨車、客車など
幅広い種類の車両を製造していました。

乗車順は前後しますが、
あの日に守谷~下館で乗った
関東鉄道常総線のキハ 2200 形気動車は
新潟鉄工所製。

3 社の縁

こうしてみると、あの日は
1 日にして縁ある 3 社の
今昔車両に乗っていたわけで、
なんとも不思議なつながりを
感じてしまうのでした。

したっけ。