昨日訪れた沼尻スキー場は
現在営業しているゲレンデで最も古い
というのは昨日も書きました。
今日はその歴史について簡単に
触れながら、その麓まで
走っていた沼尻鉄道
(磐梯急行電鉄)に
ついてちょっと書いて
みたいと思います。
沼尻スキー場の成り立ち
かつては現在ゲレンデに
なっているところから少し上部に
硫黄を産出する沼尻鉱山がありました。
この鉱山は江戸時代に開かれ、
1900 年代には日本硫黄という会社が
硫黄の採掘を行うようになりました。
この会社の従業員の
慰安スキー大会を開いたのが
沼尻スキー場のはじまりとのこと。
このゲレンデ、かつては福島県営として
運営されていたこともあったそうで、
数々の大会も開催されていたようです。
沼尻鉄道の開通
そして 1913 年には日本硫黄が
磐越西線の川桁(かわげた)駅と
沼尻駅を結ぶ鉄道を開通させます。
その目的は鉱山からの硫黄搬出が主で、
そのかたわら、沼尻スキー場や
沼尻・中ノ沢温泉への湯治客、
安達太良山登山の送客を
兼ねていたそうです。
晩年は「磐梯急行電鉄」という
名前に変わりはしましたが、
結局電車が走ることもなく
可愛いディーゼル機関車が
小さい客車を引いているという
なんとものどかな鉄道だったそうです。
なお、この車両は
少し離れたところにある緑の村の
敷地内に静態保存されています。
沼尻鉄道廃止
原油から硫黄が低コストで
精製できるようになると
価格競争力がなくなり鉱山は閉鎖、
その主目的を失われた鉄道も
廃止となりました。
廃線跡は
廃止されたのは 1969 年とかなり
昔のことで、廃線跡はほとんと
国道の拡幅に使われてしまい
当時を偲ぶことは困難です。
ただしその痕跡はいくつか残っており、
川桁駅付近には記念碑と旧橋梁が、
会津下館駅跡には当時使用されていた
便所がほぼ当時の状態で、
終点の沼尻駅はその駅舎が
移設されて現在も残っています。
また、各駅跡付近には
最近になって駅名標に似せた
看板が設置されていて
かつてに思いを馳せることが
できるようになっています。
猪苗代町内から沼尻、箕輪スキー場
方面に向かわれる方は沿道を
注意深く探してみてくださいね。
したっけ。