本日(2016 年 12 月4 日)をもって
留萌本線の留萌~増毛 16.7km の区間が
廃止になります。

バスの圧倒的利便性

この区間はかねてから並行して走る
バスのほうが利便性が高く、
鉄道利用者は減る一方でした。

私が何年か前に乗りに行ったときも、
周囲の乗客は「同業者」と思しき人が
ほとんどだったため、廃止はやむなしと
言ったところです。

思い出の地「増毛」

今回の廃止は鉄道ファンとしての
寂しさは当然のこととして、
増毛は縁ある土地なので、
さらに思い入れがあるんです。

今日はそんな思い出話を交えて
語ってみたいと思います。

まず、増毛は「ましけ」と読みます。
「ぞうもう」じゃありません。

まぁ、こんな名前なので、
一部の方々に入場券が売れたこともあるようで、
つい先ごろには「半家(はげ)から増毛」へ
なんてツアーも企画されたようです。

そんな増毛は私の母親の故郷。
つい数年前までは祖母がこの地に
住んでいましたが、現在は札幌近郊の
叔母のところに引っ越したため
この家は空き家になっている模様。

かつては帰省で何回も、
その後、鉄道旅で一度訪れた事があります。

街の思い出

最後に訪れたのは 2012 年の 9 月。

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かなり前に廃業してしまった駅前に
立つこの旅館。
実は母親の同級生の家。

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懐かしさを覚えたこの増毛スーパーも
今は閉店してしまったそうです。

どんどんさびれていく町並みに
寂しさを覚えたものですが、
さらに増毛駅の廃止によって
さらに拍車がかかってしまうの
ではという危惧もあります。

幼い日の思い出

さて、寂しいことは少し忘れて、
さらに過去の思い出を。

私が初めて増毛を訪れた
(記憶が残っている)のは、
小学校一年生のとき。

このときは交通手段は鉄道。
実家の茨城から特急【みちのく】、
青函連絡船、特急【おおぞら】と
乗り継いだと記憶しています。

【みちのく】は 583 系、
【おおぞら】はキハ 82 系を使用し、
どちらも 13 両編成で食堂車付きという
堂々たる内容の特急列車でした。

※当時【おおぞら】は函館~釧路間の運転。

その後の記憶はおぼろげですが、
留萌本線にも乗車しているはずです。

母の実家は増毛駅から数キロ離れた
別苅(べつかり)というところで、
駅からバスに乗り、ようやくたどり
着いた家は海が目の前。

昼は海水浴しながら海辺でジンギスカン、
夜は波の音を聞きながら寝るという
今考えるとかなり贅沢な楽しみ方が
できるところでした。

別苅からさらに進むと雄冬という
集落があり、ここは今では夕日の
きれいな観光スポットとしても
有名なところですが、

当時は陸の孤島と呼ばれていたところ。

国道が開通する前は同じ町内にありながら、
往来は険しい山道のみ。しかも冬季は雪によって
閉鎖となるため、定期船が唯一の交通手段でした。

この船に乗ったときの写真も
実家のどこかに眠っているはず。

そんな秘境を生で体感できたのも
いまでは良い思い出です。

もう鉄路を辿って行くことは叶わぬことに
なりましたが、近いうちに
記憶を頼りにいってみたいと
思う今日このごろなのであります。

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したっけ。